2013年5月16日木曜日

無限というパラドックス

パラドックスとゼノン:『アキレスと亀』あるいは『二分法』

で気づいたことがある。

実はこれ、無限というパラドックスに問題自身が嵌っているのではないかと。

なんでもいいが、例えば、0.0000001を無限に足すと、無限大になる。どんなに小さな値であろうと、「同じ」値を無限に足せば、無限大になると言えるだろう。ところがここで最も小さい値を考えてみる、そう、無限小とでも呼びたくなる値だ。小数点以下に無限にゼロがつづいたその次の値が1になるのだ。だが、無限に続いたらその次は無い。つまり、ゼロの次に大きな数というのを、無限は示せないのだ。

言われてみれば分かり切ったことだが、無限というのは動的であり、静的でない(同じことを繰り返して行っている。。)。つまり、無限にゼロを並べようとすると、永遠に並べ終えることが出来ないのだ。しかしこれを「無限」という関数で表現すると、あたかも静的であるように示すことが出来てしまう。

ゼノンの『二分法』で、2点間の距離が縮まって行くことをイメージしながら、それが無限に小さい値をとると、心理的には不思議なことが起こる。先に挙げたように、どれほど無限に小さい値であろうと、その値を無限に足せば無限大になるはずなのに、積算といおうか、『二分法』のように積み上げて行く足し算を行おうとするとき、次に足す値が前の値より小さくなる場合は、いつまで経っても無限大にならないのだ。

それはおかしい。

だって、無限に小さい値であろうと、無限に足せば無限大になるはずではないか?
そして次に足すべき値は、常に無限に小さい値よりいくらか大きいはずではないか?

ところが、次に足す値が、前の値より小さいため、無限に足しても、決して無限大にはならないのだ。

もっとも小さい値が存在するとして、それを無限個足し算すれば無限大になるのに、その最も小さな値が(無限が動的であるために)いつまで経っても決められない。

そこが一見パラドックスに見える所以ではないだろうか。

このことは、実は物理的な世界が、否が応でも無限小ではない最小値を持っていなければならないという、非常に重要なことを示唆している。つまり、プランク定数が正しいか否かに関わらず、最小値は存在する。この世はデジタルで無ければ存在し得ないのだ。





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